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しがないオタクの感想置き場

BANANA FISH

 

 

 「BANANA FISH」というアニメを見た。

 

 

テレビで放送されたのは2018年。

そして今は2020年、しかも終わりかけ。

 

なんで今?って感じだけど理由は超単純。

dアニさんが「もうすぐ配信終了するよ」ってお知らせしてきたからだ。

 

でも見終わってから気づいてしまった。

アマプラにもあったから別に今すぐ見る必要なかったってことに…

 

でもいつかは見たいと思っていたし、そのきっかけをくれたと思っておこう。

 

それに、この作品を”今”見ることができて良かったなって思う。

仮に放送当時の2年前にこの作品を見ていて、今と同じ気持ちになれたか正直分からない。

 

 

 

 

前置きがめちゃくちゃ長くなってしまった。

 

 

 

最終話を見終わったのは昨日の夜なんだけど、

未だに気がつくとアッシュの死について考えてしまっている自分がいる。

 

奇跡的に今までネタバレを踏まなかったから、

どういう最後になるのか、あの瞬間まで知らなかった。

 

作品としてはなかなかに衝撃的なラストの部類に入るはずなのに、

あんまりにもアッサリとしていて、動画が終わってしばらくは事態が呑み込めなくてぼーっとしてしまった。

 

ようやく「あ、終わったのか」って理解した瞬間、

すぐにはその結末が受け入れ難くて、

「ええええええぇぇぇぇぇぇ?????」

って言いながら頭を抱えてベッドに倒れ込んでしまった。

比喩とかではなく、ほんとに。(部屋に自分しかいなくて本当に良かった)

 

 

思えば「主人公が死ぬ」話って、あんまり見た記憶がない。

あんまりというか、今まったく思い出せない。

 

だから、能天気な私はそんな結末になるって想像もしていなかった。

 

それもあんなポッと出のやつにあっさり……なんて。

(アニメしか知らんからラオの印象がポッと出感強くて……)

 

 

最終話を見終わったあと、

半ば呆然としながらいろんな人の感想とか考察とか、

作者が「アッシュは犬死させようと思っていた」という発言をしていた

みたいな記事を読んだりして、少しずつ少しずつ、

自分の中で「アッシュの死」は、そんなに拒絶するようなものではないんだなという気がしてきた。

 

 

「アッシュの死」の描き方は、あの作品においてすごく中立な印象を受けた。

 

なんというか、

もし仮に同じ死ぬのだとしても誰かを庇ってとか、誰かの身代わりにとか、

彼の死を「意味のある死」にしてしまうと

作品としてはすごく綺麗だけど、綺麗すぎて嘘くさくなってしまっていたと思う。

 

 

ここまで作品を見てきた者として。

アッシュの過去を、仕打ちを、境遇を、僅かながらでも知る者として。

 

彼が幸せに生きる道を願う気持ちがある一方で、

彼のしてきたことや犯した罪はあまりにも大きくて、

それを思うと、彼が幸せに生きるということはその行為……つまりは殺人を正当化してしまうことにもなるんだと思う。

 

 

彼が殺した人は全部が全部、極悪人な訳ではなかった。

施設の職員、警備員、作品でいうところのいわゆるモブの人たちは、ただ己が職務を全うしていただけで。

 

アッシュにとっては、道を塞ぐもの=敵=だから殺す

なのだけど、命までも奪う必要がない人たちは確実にいたと思う。

 

もちろん、状況的にそんな悠長なこと言ってられないし油断すればこちらがやられるわけだから致し方なしではあるんだけれど、

でも、だからといって彼の行為がすべて許されるわけではない。

 

そう思うとやっぱり

「全てを忘れて異国の地で愛する者と幸せに」

なんてのはありえないことだったんだよな。

 

 

アッシュにとっては

「暴力を振るわれたから暴力で返した」

ただそれだけだし、幼い彼にはそれしか道がなかった。

そうしないと生きていけなかった。

 

でも、暴力は結局、新たな暴力しか生まないわけで。

 

人を手にかけた瞬間から、彼が普通の、英二のようないわゆる「普通の人生」を歩む道は潰えたんだと思う。

 

 

そうする道しか選べなかった彼の境遇、

英二がいうところの「運命」という大きな波の中を懸命にもがくしかなかった彼を思うと、胸が苦しくなる。

 

 

最終話のブランカの「一緒にカリブに行かないか」というセリフ、

アッシュは「自分の孤独を埋めるために?」なんて茶化してたけど、

私は、自分のというよりアッシュのことを案じてそう言ったんじゃないかなという気がしてならない。

 

でもアッシュは自分のしてきたことを忘れることも、そこから逃げるつもりもなくて、

だからブランカはそれを察してすぐに引いたんじゃないかな。

 

なんとなく、そんな気がした。

 

 

 

番外編の「光の庭」も読んだんだけど

エモさとシンドさで余計に頭がぐるぐるしてる。

 

「魂の奥深いところで結びついている」って表現、グッとくるな。

 

 

アニメのラストシーン、

英二からの手紙を読んでいたアッシュが窓から見えるであろう空を見上げ、その顔に陽の光があたり、飛行機の飛び立つ音が重なる。

 

すごく印象的なシーンだった。

 

あのとき、

アッシュは英二の魂を半分もっていったし、

英二はアッシュの魂を半分持って今も生きてるんだなって。

 

 

英二は自分の手紙のせいでアッシュが…って思ってるみたいだけど、

でも英二に出会わなかったら、アッシュはあんな風に穏やかな最期を迎えることはできなかったと思う。

この世の全てを憎み、呪いながら、孤独に死んでいくことになっていたんじゃないかな。

 

 

あのとき、刺されたアッシュが病院ではなく図書館に足を運んだのは、

あの場所が唯一、自分に対して常に向けれられている性的であったり攻撃的であったりする”視線”から解放される、

誰も自分を"視ない"場所だったからじゃないかな、と思う。

 

 

アッシュは自分の最期を自ら選んだ。選ぶ時間を与えられた。

 

特別死にたいと思ってはいなかっただろうけれど、

何としても生きていたいとも、彼は思っていなかっただろう。

 

 

英二は、彼が望んだように

「運命からアッシュを守れた」んじゃないかって、そう思う。

 

アッシュは、この先もきっと平和に穏やかに生きていくことなんてできなかったと思うし、彼自身もそれを望んではいなかったと思う。

自分の運命と宿命に、覚悟をきめていた。

 

だからこそ、彼にとって最も幸せで暖かくて愛に包まれた瞬間に生涯を終わらせることは、ある意味、一番の「勝ち逃げ」ってやつなんじゃないかなという気がしてくる。

 

運命に勝ったんだ、って。

 

 

……自分で書きながら自分を納得させようとしてる感がすごすぎて笑えるけど、

いいんだ、そういうことにするんだ。別に、全てが本心じゃないわけじゃない。

 

 

 

「光の庭」の中の英二のセリフ、

 

ぼくは彼を忘れない。忘れようとも思わない。

 でもそのことがぼくが幸福じゃないということにはならない

 

というのがあって、この言葉にすごく救われた。

 

冒頭からこのシーンまでに「アッシュを忘れろ」と周りの人が英二に言っているシーンが何度かあるんだけど、

それって、すごく酷な話だなと思っていたから。

 

 

その言葉を言う人は、みな英二のことを案じての発言だ。それは分かる。

分かるけれど、大切な人の死を”乗り越える”ことがその人のことを”忘れる”ことだなんて、それはあんまり悲しすぎないか?と思う。

 

きっと本当に忘れてしまったら、いつかふと思い出したとき

”大切な人を忘れていた自分”を許せなくなるだろう。

 

 

それでも7年間、英二は、英二の心は、動けなかったんだろうなって思う。

彼の最期の場所である市立図書館に近づかず、彼の写真はアルバムから外してしまい込み、街で彼に似た人を見かけたら走っていって顔を覗き込んでしまうくらい。

 

 

英二がアッシュの写真を取り出して見るシーン。

セリフもなく、静かに涙を流す彼の姿に視界が滲んだ。

 

あのときようやく英二は彼の死に向き合えたのかな。

 

 

 

「光の庭」が映像化されたらシンドくてまた頭を抱えることになるだろうけれど、それでも見てみたいなって思う。

 

 

あ、でも今すぐじゃなくていいな、うん……

ちょっと心を落ち着けて身構える時間をください(ください)

 

 

 

しばらくはまだこの作品のことでぐるぐる考えちゃうんだろうな。

こんだけ吐き出してもまだ思考が止まらない。

 

 

 

名作と呼ばれる作品はそれ相応のしかるべき理由があってそう呼ばれているんだな。

……なんて、ものすごくしょーもない感想で締めくくります。

 

 

でも、

出会えてよかったと思える作品がまた一つ増えたことを嬉しく思う。