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しがないオタクの感想置き場

「家庭教室」出版記念イベントin横浜



2018年5月26日。

横浜で行われた、

伊東歌詞太郎さんの小説「家庭教室」の

出版記念イベントに参加してきました。






本に書いてほしい名前を整理券の裏に記入してそれを見ながら書いてもらう形式で、

私は「悠」と書いたんだけど。



それを見て、少し考え込むような素振りを見せた歌詞太郎さん。


「この悠さんは…」

と呟かれて、

?何だろう??

と思っていたら、



「悠さんって、ブログとか書かれたりしますか?」



その言葉に「えっ!?」と声が出て、思わず口を覆った。




こっからはもう頭真っ白。


まさか、いやまさかね、と思いながらも、

一方では彼の言わんとすることをなんとなく察してしまっていて、


「はい、あの、二天一流のライブの、感想を書いたものを、引用リツイートしていただいたことが…」


と、震える声でなんとか答えたら


「あぁ、やっぱり。本当に嬉しかったよ。ありがとう」

って。







もう、ビッッックリしちゃった。


まさかご本人から、4ヶ月越しに、直接、目を見て、感想を伝えていただけるなんて。


というか「やっぱり」ってなに〜〜〜〜〜〜〜

「悠」なんてそんな珍しいわけでもないし、他にもいそうなものだけど。

文章好きそうな顔に見えたのかな?笑


…まさか、いや、まさかとは思うけど、お手紙やメールで住所を「神奈川」と書いていて、今日は横浜のイベントだから、もしかしてそれで…?


いや、いやいやいやいや、まさか、そんな……

ねぇ?笑




というのは置いといて、


あの文章に反応をいただけたとき勇気出してリプもしていたし、

ぼくラジに改めて感謝を伝える旨のメールもしていたし(驚きの長さで、いま見返すと申し訳なくなる…笑)


私が出したものに対して彼が返してくださったものはもう十分受け取ったつもりで、

私の中では一区切りついて、一旦落ち着いたもの、という認識だったから。


だからまさか、

「悠」という名前を見ただけで「もしかして」と思ってもらえるほど

彼の中にあの文章が残っているなんて、全く思ってなくて。



いや、この言い方だと歌詞太郎さんに失礼だな……


彼が受け取ったものをすごく大事に、大切に思ってくださっているのは知っているのだけど、

それが自分にも適用されるだろうという風には全く意識がいっていなくて、



なんというか、つまり、


歌詞太郎さんがすんばらしく頭が良くて、

すんばらしく記憶力が良い方で、

すんばらしく気配りパラが高い方であるということが、

自分の思っていた以上だったのだなということを身を以て知ったというか…笑



もう手も脚もガックガクだったよ…(それは始まる前からだけど)


向こうからこの話題を振られた時点で自分が考えていた言葉は全部吹っ飛んでしまい、

その後の会話はすべて脊髄反射で進行していたから、本当に恐ろしい…笑







サインが終わり、差し出された本を受け取りながら、急に今日は小説のイベントであったことを思い出し、


「あ!あの、家庭教室、重版出来と、あと、あれ、なんだっけ……あ、出版!おめでとうございます…!」

と、流れガン無視でねじ込む()


なんだっけ、のとこでちょっと笑われた。


私が必死すぎたんだな()

でも自分でも「わたし必死だな」って思ってた笑


でも、だって、小説のイベントだし、これだけは言わな!と思ってたからさ…


笑われたけど、そのままの笑顔で

「あはは、ありがとう」

って言ってもらえたから悔いはないです……



これからもよろしく、的なことを言われながら手を差し出され、

そこでようやく握手もあったことを思い出す。



握り返しながら

「明日の渋谷も、行きます…!」

って言った後のお返事をあまり覚えてないけど、

たぶん「おーありがとう!待ってるよ」的なこと言ってくれてたと思う(テキトーかよ…)





あと、すごくどうでもいいんだけど、

わたし手が普通の人よりもかなり小さくて、

歌詞太郎さんと握手してるときの自分の手を見るといつも巨人と小人みたいだなって思う

まぁ身長的にもそんな感じだけど笑




なんかもういろいろと衝撃が凄くて、

終わったあとにしばらく壁と向かい合ってしまった…


本当に、これは現実……?

誰か教えて………って。笑




ヴィレヴァンスタッフのお姉さんもさ、すごい良い方で…


あまりの衝撃に呂律が回っていない私に

「お話できて良かったですね!」的なこと言ってくださって

(嬉しかったのにほとんど覚えてなくてすみません…)

優しさが沁みた…あれでなんか泣きそうだった










あのシークレットライブの感想を書いたとき、

歌詞太郎さんが、あの日のライブが、

こんなにも素晴らしかったってことを誰かに伝えたいという気持ちはあった。


でもご本人に読まれることは本当に、1ミリも想定していなくて。



それは、彼がファンの絵や文章や企画や、

そういったものに反応をしてくださる方だって、

あのときはまだ知らなかったからでもあると思うんだけど。


Twitter始めた頃はリプくれた人に律儀に全部お返ししてたのは知ってるんだけど、

今はもう、そういうTwitterを通しての絡みは一切ないのかと思っていて。



だから、何度も書くけど、ほんとに、ほんっっっとうにビックリしたんです。



そしてこれは、全くもって「当たり前」のことではないからさ…




この先またこういう機会があるかは分からないけれど、例え何度あろうとも


「見てくれて良かった」じゃなくて

「見てくれてありがとう」って言い続けたいなと、改めて思った。








私がこういう文章を書く根底にあるのは

「書きたいから書く」

「心が動いたから書く」

というものだから、


「見てもらうため」「反応をもらうため」に何かをするのは、

私は「違うな」って思ってしまうんですね。


絵でも、文章でも、お手紙でも、プレゼントでも、何らかの企画でも、

その人を「応援したい!」っていう気持ちからくる行為は誰かに強制されたわけではなく、

個人個人が「やりたいから」やっているものだと私は思っているから、


それに対して

「アタシはあなたのためにこれだけ尽くしたんだから、見てくれるよね?反応してくれるよね?喜んで当然だよね?」

って暗に言っているようなものになってしまうのは、私は、あんまり好きではなくて。



ご本人に本当に伝えたいことは直接手紙に書くし、

そうすれば歌詞太郎さんは絶対に見てくれると知っているから、もうそれで十分だと思っていて。



それでもこうして何かあるたびに文字を書いてしまうのは、やっぱり自分が「書きたいから」でしかないんだよなぁ。


もちろん、それを誰かが読んで、そして反応をくださることは、すごく有り難くて嬉しいことです。


反応をもらうために書いてるわけではないけど、反応もらえたら そりゃあ嬉しいに決まってる😊





「直接"ありがとう"を伝えるためにイベントをする」

と仰っていた歌詞太郎さんに

こちらも「ありがとう」を伝えたくて行ったのに、

なんだか私ばかり嬉しい気持ちをもらってしまったような気がするなぁ…


明日こそはきちんと「ありがとう」をお伝えしなければ。



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